ブラウニー(Brownie)の愛称で誰からも愛された天才トランぺッター、クリフォード・ブラウン(Clifford Brown)。
ファッツ・ナバロ(Fats Navarro)の後を継ぐ逸材として期待されておりましたが、彼もまた短命で、実質4年間のプロ活動ではありましたが、幾つか名演奏を残しております。
25歳の時に不慮の事故で亡くなった後、ベニー・ゴルソン(Benny Golson)が、彼を追悼した「I Remember Clifford」という曲を作曲してしまうほどの存在でした。
ブラウニーは理系、特に数学が得意で品行方正。酒やドラッグなどとも無縁だったそうです。
ただ一つ、「スピード狂」という悪癖がありまして。そのため1回目の交通事故で大怪我をし、肩の脱臼癖が治らず晩年まで苦労してたみたいです。
ブラウニーの凄さを感じるのは、何といってもどの録音を聴いても完璧なアドリブ・ソロ。
「コード分解の鬼」とまで呼ばれてた事でも分かる通り、コード進行に沿った理論整然としたアドリブソロを吹いております。
そんな彼が残したベストセラーアルバムが、「Study In Brown (EmArcy)」。
チャーリー・パーカー(Charlie Parker)やバド・パウエル(Bud Powell)など、ジャズ界の巨人達との共演で人気の高いドラマー、マックス・ローチ(Max Roach)との双頭バンド「Clifford Brown & Max Roach Quintet」名義での録音です。
このアルバムは「エマーシー(EmArcy Records)」に残した作品群の中でも比較的楽曲の粒が揃い聴きやすいです。
テナーにハロルド・ランドが参加した時期の「Clifford Brown - Max Roach Quintet」における、グループとしてのまとまりも堪能出来る1枚です。
バンドの編曲も担当してたらしい、ピアノのリッチー・パウエル(Richie Powell)の小粋なピアノも楽しめます。
なお、リッチーは名前からも推測出来る通りジャズ界の巨人の一人、バド・パウエル(Bud Powell)の弟です。早世が惜しまれるピアニストでしたね。
このバンドによる「Take The A Train」は、イントロでフロント二人が出発する汽笛の真似をしてみたり、エンディングではドラムのマックス・ローチがブラシを使い、列車が速度を落とし止まるまでの様子を表現してみたりと、ユーモアに溢れた仕掛け満載の演奏だったりします。
あと、9曲中4曲がクリフォード・ブラウンの自作曲であるという点も、注目すべきですかねえ。
ブルースの「Sandu」は、後にドン・シックラー(Don Sickler)の編曲で、フレディ・ハバード(Freddie Hubbard)とウディ・ショウ(Woody Shaw)の2トランペットによる演奏がブルーノート・レコードで録音されていたりします。
Clifford Brown & Max Roach - Study In Brown
EmArcy MG-36037 / Mercury Music Entertainment PHCE-3054 [1996.12.20]
side 1 (A)
01. Cherokee (Ray Noble) 5:41
02. Jacqui (Richie Powell) 5:09
03. Swingin' (Clifford Brown) 2:51
04. Lands End (Harold Land) 4:54
side 2 (B)
05. George's Dilemma (Clifford Brown) 5:33
06. Sandu (Clifford Brown) 4:54
07. Gerkin For Perkin (Clifford Brown) 2:55
08. If I Love Again (Oakland, Murray) 3:22
09. Take The A Train (Billy Strayhorn) 4:16
Clifford Brown (tp) Harold Land (ts)
Richie Powell (p) George Morrow (b) Max Roach (ds)
February 23-25, 1955 at Capitol Studios, NYC.
最後にクリフォード・ブラウン(Clifford Brown)がプロとして活動した4年間、22歳から25歳までの概要を記載しておきます。
それ以前からチャーリー・パーカー(Charlie Parker)や、ファッツ・ナバロ(Fats Navarro)らと共演。ジャズ界の巨人達からも、有望なトランぺッターとして注目されていたようです。
<1953年(22歳)>
●1953年06月09日、ブルーノート(Blue Note Records)にて初録音。
●1953年06月11日、タッド・ダメロン(Tadd Dameron)楽団にて録音。
アルバム「Clifford Brown Memorial ( Prestige PRLP7055)」に収録。
●1953年09月よりライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton)楽団と歴史的なヨーロッパ・ツアーに参加。なお同楽団トランペットの同僚として、クインシー・ジョーンズ、アート・ファーマーらが居た。
<1954年(23歳)>
●1954年02月21日、ブルーノート・オールスターズとして「A Night At Birdland (Blue Note)」録音。
●1954年04月、「Clifford Brown - Max Roach Quintet」にて「GNPレコード」に初ライブ録音。
●1954年08月以降、「エマーシー(EmArcy Records)」で様々な録音を残す。
<1955年(24歳)>
☆1955年02月、アルバム「Study In Brown (EmArcy)」録音。
<1956年(25歳)>
●1956年01月、ハロルド・ランド(Harold Land)に代わりソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)が参加した「Clifford Brown And Max Roach At Basin Street (EmArcy)」を録音。
●1956年03月、最後のスタジオ録音となる「Sonny Rollins Plus 4 (Prestige)」を録音。
●1956年06月26日の真夜中。
雨の中、ド近眼だったらしいリッチー・パウエル(当時24歳)の妻が運転する車で移動中、事故死。新品のトランペットを受け取るため、他のバンドメンバーと別行動してた・・・という話もあり。
しかし、アメリカのジャズ界は長く過酷な演奏旅行中の事故で有名ミュージシャンを失う事多いですねえ・・・。